クラブ会員の投稿を紹介します。
ワールドカップで、なでしこジャパンの活躍ぶりは今思い出しても感動する。
延長戦終了3分前に、宮間のコーナーキックに澤が飛び出し蹴ったと言うよりも、伸ばした右足にボールが当り見事にゴールしPK戦になった。その直前タイムアウトの時、宮間が澤に「ニアに蹴る」と言ったそうだ。
なでしこの大半は、恵まれない環境の中でバイトしながら睡眠時間も犠牲にし、練習に練習を重ね世界の頂点に立った。
ある大学教授が「この姿は日本の中小企業の生き様に似ている」と言っている。
乏しい資金に少ない人員で、圧倒的に不利な状況から粘って、粘って持ち堪えている。
それは、中国との価格競争が典型的な例で、「この値段でやれないなら中国に注文するぞ」と脅され仕方なく引き受け、材料代は勿論、工賃までも減らし電気代から消耗品に至るまで節約し、辛うじて採算ラインにこぎつける(同点引き分けに持ち込む)。
日本の中小企業は良質なものを作り世界に貢献しているが、大きな儲けもできず、慎ましい暮らしをしながら道具には金をかけ、手入れを怠らず日々工夫を重ねている。我々ダクト業界も同様で、元請けから「この値段で出来ないなら、やるところはいくらでもある」と言われ、値上げ交渉の余地など全く無い。あるのは、断る選択肢だけだ。
バブル崩壊から、リーマンショックと大変厳しい環境下で「何事もやればできる」と、「この世にダクトがある限り、ダクト屋も存在する」をモットーに、「VE」(バリュウ、エンジニアリング=機能を落とさずコストを下げる)と、「気力・根性」で持ち堪えて来た。だが、政府の東日本大震災から原発事故の後手、後手対応などを見ていると、「気力」の限界を感じていた。だが、今回のなでしこジャパンを見て「何事も最後の最後まで、諦めなければやれる」という「気力」をもらった。
先日のテレビ番組「報道2001」で、石原都知事が「苦しい時は私の背中を見なさい」と澤が言ったという。
そして、「都民栄誉賞」の表彰式でも澤選手に「あんた総理大臣やんなさいよ!」と言っていた。
現在民主党の代表戦が行われているが、「帯に短し、たすきにも短い」候補者ばかりで、難問山積の国難に対して澤選手のようなリーダーシップを持った政治家の出現に期待したい。
「石原都知事あんたがやったらどうですかね」
2011/8/25記
ドラマは5月下旬に始まった。
昼食をとっていると家内が「2階の寝室の電動シャッターが上がらない
、上を見るとシャッターと収納ボックスの隙間から、ものすごい量のわらのようなものがびっしり垂れ下がっていて、下の床にも散乱している、シャッターに絡んで動かないみたい」と血相を変えて降りてきた。
わけがわからず飛んで上がるとなるほどいう通りだった。
わらの大きさから見てスズメではないやや力のある鳥が巣を作っているらしい。
シャッターは閉じたままにして様子を見ることにした。
しかしどこから入ったのかがわからない。外から見たところ入口は特定できない。
数日後の朝、チチチというかわいい雛の鳴き声が聞こえだした。
日ごとに数が増えていく。1〜2分おきに親鳥がせっせと餌を運んでいるみたいだ。
鳴き声も日増しに大きくなっていく。5〜6羽だろうか。
この頃、ツバメもスズメも巣立ちしていて、あたりは幼鳥と親鳥の鳴き声でにぎやかだ。一体どんな鳥なのだろう。
朝6時半頃、NHKの「とれたてマイビデオ」がある。
ある日、巣立ちして庭の小枝にとまっているモズの子が、
羽毛を立てて毬のように丸くしてかわいい姿で親鳥から餌をもらっているシーンが紹介された。
その時、親鳥の「グェグェ」とか文字で表わせない鳴き声がした。
すると、枕の上2.5メートルの巣の雛が一斉に反応した。
「これはモズの子か?声も似ている」。確かめたくなった。
6月18日の雨天の昼、カメラに望遠レンズをつけ、15メートルほど離れた庭の隅から撮影チャンスをうかがった。
傘を左手に持ち右手だけで撮影するためどうしてもぶれる。
ほどなく親が緑色のイモムシをくわえて、軒下とシャッター収納ボックスの隙間のところにとまり、あたりをうかがってすっと中に消えた。
ああ、あそこが入口だったのか
20〜30秒後に白いものをくわえてさっと飛んでいった。
くわえていたのは雛の糞だ
巣の下のベランダには糞はない。この鳥は巣の中や外を汚さない習性があるのだろう。
外へ運んで畑の肥料に供している。それにしても1日中相当数のイモムシか何かをせっせと運んでいる。
よくもまあ毎日、一体どこにそんなに餌があるというのだ。不思議でならない。
現像して百科事典で調べるとムクドリ。
平地から低山にかけての林にすみ、市街や村落でよく見かける黒っぽいツグミ大の鳥。長めの足や口ばしの色は黄橙色。写真で見ると確かに橙色。日本では全土で繁殖する。繁殖期以外は群生し、エノキ、ムク、ミズキ、ハゼなどの実、昆虫、クモなどを食う。ネキリムシ、ヨトウムシ、ハムシ、ズイムシ、イナゴなど多数捕食するので益鳥。木の穴、石垣や屋根のすき間などに枯れ草、落ち葉、馬の毛、樹皮などで巣を作り、4〜7月に青緑色の卵を4〜9個生む。
日がたつにつれ雛の声が大きくなってきた。何とも形容しがたいギャーギャー、ゲゲゲといった感じ。親鳥が帰ってくるとひときわ大きく鳴き騒ぐ。これが朝の4時半からとくるからたまらない。
目が覚める。雨の日とて同じだ。寝不足になりいつもより1時間半早く床につくようにし、2日に1回、睡眠薬を飲む。雛は親鳥が出ていっても鳴き続けている。いないときぐらいはツバメのように黙っといてよ。夜もときおりグジュグジュと鳴いている。天気がいい日は朝日がシャッターに当たり、手を当てるとかなり熱く数秒も当てておられない。幸い上部はひさしで陰になるためそんなに熱くない。熱中症はなかろうとまず安堵。
6月25日、ひときわ大きな声で鳴くパワフルな雛1羽が巣立った。後に残ったのは声がか細かった2羽でそれも30日に巣立ちやっと静かになった。やれやれ。この間、前述のわらが垂れ下がって、密度にむらのあるすき間から2羽が落ちて死んだ。
未明のノイジーな雛の声に参っていたのでほっとしていたところ、あれ?親鳥なのかボックスの中でだまってカサコソと何やらしている音がする
。中で歩くと金属板の上のためカシャカシャと爪が当たる音がする。もう一度卵を産んで2回目の営巣ですか?あのおびただしいわらみたいなもの、どうすりゃいいのだろう。のちのちボックスを分解して掃除しなければならないような。かんべんしてもらいたい。
私が伊予土居ライオンズクラブに入会して5ヶ月が経過しました。
メンバーの方々は地元名士の方ばかりで、私自身、身分不相応ではないかという不安感で一杯でした。
しかし、「奉仕の精神」という志に集ったメンバーの方々は暖かく私を迎え入れて頂き、ライオンズクラブの一員になるのに、そう時間はかかりませんでした。
入会してまず感じたのは、あらゆる活動を通じてメンバーの方達が「地域貢献をしていこう」と真剣に考え・行動していることでした。
近年、「自分達さえよければ」というような風潮がある中、各自の仕事をこなしつつ、ライオンズの活動を通じ地域貢献に寄与されているメンバーを見ていると、地域内のリーダーたるものの「志」を感じました。
また、先輩ライオン達が活動を始め、継続し、現在のライオンに受け継がれている事が今のライオンズクラブが地域に受け入れられている一つの要因だと考えます。
私も一個人として微力ながら次世代に受け継がれる活動をしていこうと思います
昨年8月に伊予土居ライオンズクうブに入会して、10カ月が経過しました。
入会前もライオンズクラブの存在は認識していましたが、具体的な活動については十分に理解していない状況でした。
実際に入会してみると「リジョン」「ガバナー」など慣れない言葉もあり、当初は戸惑いもありましたが、例会等への参加を重ねることによりクラブの目的や活動の意義を理解できるようになりました。
清掃活動をはじめ多様な活動を通じたクラブの地域社会への貢献度は高く、これまで活動を継続されてきた諸先輩に深い敬意を感じています。
また、伊予土居ライオンズクラブはチームワークがすばらしく、
熱心な活動は他のクラブに負けないものと思っています。
私の勤務する職場においても「地域の発展のために、いかに貢献するか」が最重要課題であり、
目指すところはクラブと同様なものがあります。
「おかげさまで」という感謝の気持ちで、今後より一層「われわれは奉仕する」
という使命の一翼を担えるよう頑張っていきたいと考えています
バレンタインデーについて
キリスト教の聖人、バレンタインにちなんだイベント。欧米では愛を告白したり、恋人同士がプレゼントを贈り合う日、男女の愛の誓いの日とされる。
由来
紀元269年、ローマ帝国は愛する恋人を故郷に残した兵士がいると士気が低下するとして、ローマでの兵士の結婚を禁止したといわれている。キリスト教の司祭だったバレンタインが秘密に兵士を結婚させたことで捕えられ処刑されたとされる。バレンタインの殉教。処刑の日は2月14日が全ての神の女神、家庭と結婚の女神である「ユノ」の祝日が選ばれた。この日がキリスト教徒にとって祭日となり、恋人たちの日となった。しかし、カトリック教会は史実の上で実在が明らかでないとして、バレンタインの信ぴょう性に疑問を持ち、公式には祝日になっていないという。
欧米では
男性も女性も花やケーキ、カードなど、恋人や意中の人や友人や親しい人に贈ることがある日。バレンタインが投獄されたときに、牢獄の窓口に咲いたスミレの花のハート型の葉を、「私を忘れないで下さい」というメッセージと共に鳩に託したとの伝説から、ヨーロッパでは、パンジーはバレンタインに恋人に贈る花となった。愛の花・恋の花といわれている。
ベトナムでは
男性が女性に尽くす日となっている。
韓国では
女性から男性に贈る。バレンタインデーにチョコを贈られなかった男性は4月14日にジャージャー麺を食べるブラックデーがある。
サウジアラビア
アラーを崇拝する国なので偶像崇拝のキリスト教の祝祭を禁止しているが、庶民はバレンタインデーを行っている。しかし、2009年2月、完全懲悪委員会の委員を務める○○王子が「禁を破れば死刑もありうる」と発言しているように違法で全面禁止となっている。
日本の特徴
1、チョコレートが重視される
2、女性から男性へ一方通行的贈答
3、女性の愛情表明の機会としてとらえられている
4、職場における贈答習慣が強い
5、キリスト教徒との意識的な関連性はほとんどない
6、3月14日のお返しのホワイトデーがある
7、4月14日のオレンジデーがあるが、柑橘農家の思惑にて浸透していない。
8、逆チョコ、友チョコ、自分チョコ、義理チョコ(衰退の傾向)などある
チョコレート
今から50〜60年前にイギリスから発生。日本では約40年前に定着。日本のチョコレートの年間消費量の2割がこの日に消費されるからすさまじい。
チョコレートの効用
原料はカカオ。ポリフェノールやミネラル、ビタミンが多く含まれ、動脈硬化を抑え血液の循環を良くする。また細胞の構成に必要な亜鉛も多く含まれ、酵素の働きがよくなり、傷の回復を促進するほか、免疫力を高めて細菌感染やインフルエンザの予防にも役立つ(NK細胞の活性化)。広範囲のやけどの回復にもいい。また、ドーパミンという気分を良くする物質が脳から出て、不安を抑え、ストレスを緩和させ効果もある。砂糖やミルクの多すぎないチョコを上手に食べるのがよろしい。

太宰府天満宮に行ってきました。
道真公と牛車の牛、お墓の位置、放牧牛、盛り塩、千客万来等の関係を整理しました。
・太宰府天満宮
菅原道真公の御遺骸を乗せた牛車は、北へ進みます。まもなくその牛が伏して動かなくなりました。
これは、道真公の御心によるものであろうと、此処をお墓の場所と決めました。
後に、その上に社を建てました。これが、現在の「大宰府天満宮」です。
・では何故、牛車を引いた牛は、そこで止まったのか?
動物にとっては、塩は生きるための必須の成分です。
放牧地の牛を集めるときには、塩を使います。(いとも簡単とか)
(陰の声)
予め、お墓の場所を決めていて、その場所に“塩”を置いておいた。そこが、牛の止まったところ。
・盛り塩の効果
盛り塩は、玄関にします。玄関は、幸運の入り口です。マイナスエネルギーと厄を祓い、家全体に幸運が入ります。
(陰の声)
千客万来を祈念します。(人と牛を一緒にしてはいけませんが)
上記の陰の声は、あくまで陰の声です。
平成22年12月第二例会
スピーチ;鈴木良明
平成22年8月10日関東地方の病院で、改正臓器移植法が施行されて、初めて家族了承の脳死判定で臓器摘出がなされた事が新聞・TVで報道されていた。
たまたま8月の環境保全・社会福祉委員会の席上で石村委員長から
現在臓器移植が話題になっている時にアイバンクを担当するこの委員会で、臓器移植の卓話を誰かしてはとの意見がでた。
仕事柄何か話をしなければと考えたが実際の所余り関心がなかった。
しかし何時も切手の話で恐縮であるが、臓器移植の切手が数々発行されていることを思いつき、少し話を書いてみることにしました。
歴史
1960年(昭和35)年代頃より臓器移植は内外で始まった。
1967年(昭和42年) 人から人への心臓移植は南アフリカでクリスチャン・バーナード医師によってなされた。その際に執刀した医師が、「この移植には人に一番近い形をしたものを使った」と発言したため、「黒人の人権を認めない南アフリカ出来た非人道的な殺人手術」世界から批判された。
1968年(昭和43年)日本で初めての心臓移植が札幌医科大学で行われたが、レシピエント(提供を受ける患者)が移植の適応があったのか、ドナー(提供者)の脳死の判定に疑問が掛けられ、“和田心臓移植事件”と言われた物議を醸し出した。この問題を切っ掛けにわが国の移植は遅滞し、50年後の現在海外に遅れを取らざるを得なかった。今でも臓器移植は先進医療(厚労大臣が定める高度な医療技術を用いた療養)の中に入っている。
現在どの臓器が移植の対象となっているかと云いますと、
2008(平成20)先ず、「腎臓」です。これは慢性腎不全になり、透析を受けている患者さんが対象です。国内で移植を受けた件数は年で、1201例あり、生体腎移植が991例(82.5%)脳死下腎移植26例であった。現在11,814名の透析患者が待機している状況であります。次に「肝臓」ですが、肝細胞癌32%、肝細胞性肝硬変26%、胆汁うっ滞性肝硬変23%、急性肝不全が12%、その他が7%でした。「心臓」は心筋症などの内科的に反応しない患者に行われ、2008(平成20)年に11例、2009(平成21)年は7例との事です。
「肺臓」は2008年に肺移植が開始され、66例の生体肺移植と39例の脳死肺移植が行われた。対象となる疾患は肺リンパ脈菅筋腫症、肺高血圧症、突発性肺線維症、慢性肺気腫などです。
また「膵臓・膵島」T型糖尿病患者で、血糖コントロールが困難例を対象に膵臓腎臓同時移植が2000(平成12)年〜2008(平成20)年までに生体膵臓移植15例、心停止下2例、脳死下移植52例行われている。「小腸」は1996(平成8)年〜
2008(平成20)までに脳死3例を含む14例なされている。
2006年(平成18)万波医師の病的腎臓移植発覚「腎臓提供は公平に行わなければ成らない」という原則に反する。その他病的腎移植の医学的な不確実性・・・
2008(平成20)年の国際移植学会で、臓器取引、移植商業化、移植ツーリズムを禁止したイスタンブール宣言がなされた。 臓器移植を何時までも外国に頼むのではなく、「自給自足」の時代に入り、
2009(平成21)年 7月にわが国では臓器移植法の改正がなされ、その骨子は@脳死を人の死とは認める。A脳死を人の死と認めるが、本人や家族が臓器提供に関わる法的脳死判定については拒否できる、B臓器提供者の年齢制限撤廃、C本人の生前の意思表示が無い場合は家族の書面による承諾で提供が可能、D親族への優先提供の許諾などから成る。この法律は平成22年7月より、施行され、今回初めての例であり、話題を呼んだ。
2010(平成22年)家族承諾で、8月10日・19日・22日・28日・29日、9月5日・7日既に7例の臓器移植がなされている。9月26日で家族承諾は10例を数える。次第に国民の理解が進んでいる。
現在問題となっている虐待児童からの臓器提供を防ぐ体制の整備等問題は有るにせよ、悲しみの中で尊い選択をした家族の善意は大切にしつつ、更なる臓器提供の推進に向けての仕組み作む必要がある。又家族承諾での移植が増えたため、全国で20名のコーデイネーターでは既に限界に達しているとの話も出ている。
又献眼推進運動は広い意味での臓器移植であり、既に日本のライオンズは50年の歴史がある。2008(平成20)年で献眼者が1010人で移植を受けた方は1634人でそうで、未だ待機患者数は2769人おられるとのこと。我々も献眼運動とドナーカードの運動に一層努めなければ成らない。

11月16日午前9時50分から土居高校体育館において
文科省所管 社会教育団体「SYD」講師 青木富造氏、山口千恵子両氏により、
「貧困と共に生きる子供たち」の演題でフィリッピン.マニラ市郊外にある巨大なゴミ集積場(スモーキーマウンテン)でゴミ拾いをして生計の手助けをする子供たちについて講演が行なわれました。
貧困であるがゆえにその日のわずかな食事を得る為に灼熱と悪臭の中、
危険な場所で小さな子供がわずかなお金になる物品を集めている状況やそこでの生活模様など詳細な説明がありました。
日本人では考えられない悲惨な生活なのですがどの子供も明るくフレンドリーであることが画像から伝わってきました、
子供たちは食べることの心配をしなくていいことが第一の夢で2番目は学校へ行く事だそうです。
土居高校生の皆さんには画像と講演内容はある意味ショックだったと思いますが子供たちが家族を思う純粋な気持ちが十分伝わったと思います。
日本では家族の絆が薄くなったと言われますが「SYD」の現地でのボランティア活動で食事会をした時、
幼い子供たちが少しだけ食べて残りを家族と分け合って食べるために持って帰るという行動に、土居高校生の皆さんも自分と家族のあり方をあらためて考えてもらえたのではないかと感じています。
平成22年夏、久里浜に研修に行ってきました。
皆さん、久里浜と聞いたことがありますか。
医師の間では、名前だけは知っている日本のアルコール治療のメッカです。
さて実際に行くとなると、てっきり千葉県と思っていたのが神奈川県で、新横浜から乗り継いで1時間程かかる、横須賀の更に南の先でした。
病院内を案内していただくと、古い!映画のロケにも使われる程古い!当院は古くてしかたなく建て替えましたが、それより古い!こんなんで、こんな遠隔地で病院が成り立つなんて!
研修中も、テーマがテーマなだけにお互い酒を酌み交わし親睦を深めることなく、夜な夜な研修生が脱走していたようです。
さて内容ですが、医師にとっては刺激的で、一般の方にも有益?な情報もありました。
飲酒による社会の費用は、日本の酒税の3倍強に相当し、WHOもタバコの次のターゲットに考えているようです。(当クラブも禁煙の次は禁酒?)
じゃー適量?の飲酒は?
アルコール⇒ ⇒ アセトアルデヒド⇒ ⇒ 酢酸
ADH 80%、MEOS 20% ALDH
モンゴロイドはALDH−2活性に問題あり。日本人では4%が下戸。40%が酒に弱いが鍛えてごまかしている。56%の人のみ酒に強い
その56%の男性でも1日当たり日本酒1合、もしくはビール中瓶1本のアルコール20gまで。女性や、老人・子ども、アルコールに弱い人は更に少なく。(喫煙は相乗効果あるので、禁煙は当然としても・・・・なんちゃ飲めんやない。)
帰宅後、泊まりでない日は缶ビール2本の甘露をありがたく頂戴しております。
またアルコール依存のわかりやすい例えとして、タバコ好きの方が学会の泊まりで、タバコの残りが少ないと不安になり、雨の夜にもタバコを買いに走ってしまう告白もありました。
| 時期 | 酒量の平均的目安 | 酔いの状況 |
| 爽快期 | 日本酒1合まで | さわやかな気分・陽気になる・判断力がやや鈍る |
| 酩酊初期 | 1−2合まで | ほろ酔い気分・抑制がとれる・手の動きが活発・体温上昇 |
| 酩酊期 | 3合 | 気が大きくなる・大声でがなる・怒りっぽくなる |
| 酩酊極期 | 5合 | 千鳥足・同じことを何度も喋る・呼吸が早くなる・嘔吐 |
| 泥酔期 | 7号−1升 | まともに立てない・言語も滅裂・意識混濁 |
| 昏睡期 | 1升以上 | 揺り動かしても起きない・呼吸は深く緩除・便失禁 |
KAST(久里浜式スクリーニング・テスト)飲酒群を判定してみてください![]()
暗い話題の多い世となっておりますが、本格的な音楽を通して、一人一人が活力を回復して、街の元気づくりを目指したいと第1回のコンサートを計画しました。
ふるさとの偉人の顕彰を目指します。
8月29日 開場17:30〜 開演18:00〜
土居文化会館(ユーホール)にて
クリックしてね♪
皆様、よろしくお願いします。 森高 康行

本年3月に新会員として承認を受けて5ヵ月が経過しました。
初めての経験でもあり、何もわからない状態で、例会・委員会に参加しているだけといった感があります。ただ、会を重ね皆さんの活動を知る機会を得て、本業をこなしながらの活動に、ただただ敬服しています。
現在、私は大洲市に妻とニ男一女を残して単身赴任中です。
休日には家族と接することで仕事のモチベーションを保っていることに気付き、家族と一緒に自分も成長していきたいという気持ちが単身となってから強くなっていると感じます。
微力ではありますが、当地土居町を主体に活躍されている企業家の方々と一緒に、個人としてできる限りの想いと奉仕の精神を持って参加したいと考えております。宜しくお願いいたします。
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平成18年の「硫黄島からの手紙」で栗林中将演じる渡部 謙の名演技は記憶に新しい
大東亜戦争は愚かな戦争で日本兵は悪人であり、日本兵と戦った米国兵・英国兵・中共兵・ロシア兵は勇士であるかの如くの風潮が未だに見られるのには、腹が立つ
しかも、日章旗を軽蔑し、平成11年の国旗国歌法が成立した際には、現首相の菅直人は反対したのであるから何にをか言わんやである。
さて、本論に入る。 例の如く切手によって始まる話である。左下の切手は1945年7月に米国で発行された。米国のAPの特派員ジョー・ローゼンソールが撮影した写真を元に図案化されたものであり、米国のアーリントン墓地にも同じ場面の巨大な彫刻が据えられているそうである。
昭和20年(1945年)1月末より米軍の硫黄島への総攻撃開始し、やがて上陸し圧倒的な勢力を有する米軍は、島の一番高い摺鉢山を2月23日に占領し、切手の如くに山頂に星条旗を立てた
奮闘空しく摺鉢山の日本守備隊は敗れたのであった。処が、翌日24日の朝摺鉢山を見上げた所、そこには星条旗に変わり、日章旗が翩翻と翻っていた。
17歳の通信兵は日本兵の勇敢さに涙が出たと書いている*
それを知った米軍は腰を抜かし、昨日に増して空爆をし、周囲の米陣地からはロケット砲が浴びせ、山頂に再び星条旗を掲げた。
しかし、翌25日早朝摺鉢山にはまたもや日章旗が朝日をあびて、はためいていたのであった。あれほど攻撃を受けてもなお頑張っている日本兵の証しであり、どんなに勇気付けられた事であろう
その日の日章旗は昨日までのとは違い急遽作成した血染めの日章旗に見えたとのこと
米軍も警戒し、暫く日章旗ははためいてが、再び星条旗に変えられた。
日の丸の切手は「日本の歌シリーズ」第6集昭和55(1980)年6月に発行された。
さて今日の日本を考えるに、あまりにも脳天気な政治家が日本を操縦しており、日本の「劣化」を早めているだけであり、勇敢に戦った兵士の気骨等微塵も感じない。
この一枚の切手は米兵の勇敢さに劣らず、我々の先輩たちが如何に日本のために勇敢に戦ったかを知らせてくれた。
此処に戦場に倒れた兵士等のご冥福を改めてお祈りする次第です。
尚硫黄島の戦いには、ロサンゼルス五輪の金メダリスト西中佐・同じく銀メダリスト河合中尉なども参加し、また「ルーズベルトに与ふる書」の市丸少将等の逸話などが数々ある。
*参考書
17歳の硫黄島 章草 鶴次著 文藝春秋社
歴史街道 2007年(平成19年)1月号
米国大統領への手紙 平川 裕弘著


愛媛新聞に、我が家の白いツバメの記事が載っていました。
画像をクリックしてくださいかねてより病気療養中のところ、故山内貢様がご逝去されました。
ここに、ご功績を偲び、ご冥福をお祈りいたします。
クラブ員が楽しみにしていました山内さんの時節のメールを、クラブ員の櫛部邦寛さんが保存して下さっていました。
ここに山内貢さんを偲んで掲載させていただきました。
私たち、クラブ員は、いつまでも山内さんの笑顔と奉仕の精神を忘れず、引き継いで行ければと思います。
「 山内さん 本当にありがとうございました。」
山内貢さん・・時節のメールご紹介・1
山内貢さん・・時節のメールご紹介・2
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昨年の世相を表す漢字に「新」が選ばれたが、これは鳩山政権の誕生が主に反映されたようです。鳩山政権は「コンクリートから人へ」をキャッチフレーズに、無駄を洗い出す大義のもとに補正予算の執行を停止してまで事業仕訳を行った。100年に一度と言われる非常事態時には、何よりも最優先に景気対策が行われるべきだと思う。
仕分け項目に「次世代のスパコン」があったが、ここで蓮舫議員が「世界一を目指す理由は?」、「2位じゃ駄目なの?」、「費用対効果は?」の質問攻めに、納得できる回答が得られなかったと事業費の凍結を行った。その翌日かに、ノーベル賞受賞者や大学教授などが猛反発したため、結果として要求額268億円に対して40億円削減で決着したようだった。(この「スパコン」の工事を当社が神戸で施工中です)
このような最先端分野では、1位だけに特許権が与えられ2位ではダメです。専門家は、「1〜2年の遅れが致命傷になり、簡単に国際競争に復帰できない」とも言っている。又、予算が凍結されると日本の優秀な頭脳が研究できる環境を求めて海外へ流出し、日本人の研究成果を多額の使用料を支払う事にもなりかねない。このような見方をすれば事業仕訳は、唯のパフォーマンスに終わったと思う。
では、「次世代のスパコン」とはどのようなものか。完成すれば世界で最も早く、計算能力は1秒間に10ペタ回(1ペタは千兆)つまり一京回の計算能力になる。1京回とは、掛け算の九九を1人が1秒間に1回のスピードで1年間に2000時間(年間労働時間)したとすれば14億年近くもかかる計算量である。これが、次世代のスパコンなら僅か1秒で出来る。このような凄物が完成すれば下記のような開発に使用される。
1.自動車の衝突実験のシミュレーションなどミリ単位で解析(実物での衝突実験は無用)
2.多数のタンパク質から新薬候補を探す研究
3.飛行機の空気抵抗などの計算
4.遺伝子レベルから人体をシミュレーション
5.気候変動から地球温暖化予測
より早く計算したいというニーズに応えようとスパコンの開発競争が激化し、この11年間に計算速度が約1000倍に上がったが、使いこなすためのソフト開発との総合力が求められているようです。
ちなみに14億年前とは、46億年前に地球が誕生し500万年前に人類が誕生したその間になる。
今年の5月に和歌山に居る娘から、和歌山の串本町で、「エルトゥールル号」に関係した切手が発行されたと云って贈ってくれた。
さて、話は明治23年に遡るのである。トルコの軍艦「エルトゥールル号」は日本への親善訪問を終えて帰国の途中、紀伊半島沖で、台風に遭遇し、2400トンの木造軍艦は岩礁に激突し沈没した。
そこは串本町の大島の近くで、遭難者達は灯台の明かりをめざして泳いだのであった。
偶々台風の中で、漁民が、漂着した遭難者を発見し、直ちに漁村では村長を中心に悪天候の中救出活動が始った。
乗員の全兵士の一割69人を助けたのであった。そして、翌年日本政府は彼等を軍艦「金剛」で本国へ送って行った。大島漁民の献身的な行為・日本人の厚情にいたく感激し、トルコでは小学校の教科書に取り入れられ、今でもトルコ国民に顕彰されて居るとのこと。
話は一世紀を経た昭和60年(1985年)に飛ぶ。イラク・イラン戦争の際に、イラクのサダム・フセインはイランを飛ぶ全ての民間航空機に対する無差別攻撃を通告した。
在留邦人は出国しょうとしたが、何処の航空会社も自国民を優先し、邦人達200人以上がテヘラン空港に積み残された。情けないことに、今経営の危機にある日航はフライトを拒み、A新聞と当時の社会党は日本人が何人死のうと構わない、憲法違反だと自衛隊機派遣はダメだと大騒ぎ、時の中曽根首相は、風見鶏と云われ、中国が怖くて、靖国参拝を止めるくらいだから、素知らぬ顔で、何もしなかった。
しかし、色々と民間が中心になって舞台裏での努力の結果、時のトルコ政府はトルコ航空2機をテヘランに送ってくれ、取り残された邦人を収容して成田に送り届けてくれたのであった。
これは「エルトゥールル号」の御礼だった。何と心温まる話ではないか。
当時の例の馬鹿新聞は、「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化しているためだ」などと間抜けな記事を書いていた。
何が天下の新聞だ。さて、この事を子どもや孫にも伝えて於かなくてはならないと先日家内・娘・孫達と串本町の大島を訪ねた。
トルコ記念館・遭難した海を眺め当時の出来事を思い起こし、島民の祖先の立派な活躍に改めて感謝し帰ってきた。
贈ってくれた和歌山県版のふるさとフレーム切手の「エルトゥールル号」遭難碑の切手と トルコ政府発行の日本・トルコ修好100年の切手(1990年発行)に「エルトゥールル号」が描かれている事を紹介して、稿を終ります。



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