会報誌

2005.7月号

皆さんご承知のように長井先生が入院されて、今期最初の7月第一例会に出席できそうにもありません。
前回の交代例会は次期会長という立場でありながら私が欠席しました。今期は、前途多難な船出となりましたが、タイタニックのように(沈没)ならないよう頑張りたいと思います。
私は、図らずも2度目の会長をさせて頂く事になりましたが、それも30周年記念のおまけ付です。 このような大事な節目の会長に選んで頂いた事には素直に感謝したいところですが、交代例会のメッセージでも言いましたように、この2〜3ヶ月間は特別忙しかった事もありますが、日曜祭日を除けば地元の会社に居れたのは、週の内でせいぜい1日〜2日程度でした。このような状況下で、会長の任務を無事に果たせるかどうかが心配です。

幸いに来期は、猪突猛進の所も多少見受けられますが情熱家の長井先生と、思慮深くバランス感覚の優れた石水さんの助けを借り、鈴木第一副会長には代理をお願いしながら、私なりに一生懸命頑張りたいと思いますので、1年間ご協力の程宜しくお願いいたします。

 前期は皆様の暖かいご支援とご理解により幹事の役を無事終えることが出来ました、この紙面をお借りして厚く御礼申し上げます、有り難うございました。
 
 今年は設立30周年に当たる記念すべき年、「やればできる!」価値ある例会 を会長スローガンに再登板の櫛部会長と石水会計、新任の長井幹事、そして設立初の石川久子テーマ誕生、と新旧調和の取れた役員構成で和やかでユニークなクラブ運営が期待出来ると思います。
 ライオンズクラブの事業委員会の第2副会長に選任され責任の重さを痛感しています。各委員長の指揮のもと、奉仕活動の原点である、環境保全奉仕活動を子供と一緒に『地球の秘密』運動を継続事業として確立できるよう最重点活動と位置付けし地域学校や、ラブリバー、市民の森、等奉仕活動との連携を図り推進したいと考えています。またスポーツを介して地域の人とのふれあいを大切にして、ライオンズクラブのPRを続けて行きます。
 
 参加者全員が楽しく、感動が、充実感が、体験出来るような活動計画を立て実施して行きたいと思っています。
それには会員皆様の絶大なる協力、参加が無くては成り立ちません。
設立30周年事業と重なり大変忙しい一年になりますがご指導、ご鞭撻宜敷お願い申し上げます。
この度、スポンサーである櫛部会長より青少年育成・市民奉仕・・・委員会委員長の大役をおおせつかり、これは大変だぞと、緊張と、ある種の覚悟を持ちスタンバッテいるところであります。ところで、今年は、伊予土居ライオンズクラブが結成30周年という節目の年に当たるわけであります。

 30年という歳月は、人の一生を大雑把に眺めて見ますと、この世に誕生して25〜30年で結婚し、独立して家庭を持ち子どもを二人くらいつくり、その子どもたちを成人させ世に送り出すのに約30年かかります。これが大体人の一生と申しましょうか、生物である人のサイクルであるとものの本にしるしてありました。
動物や植物ですとこれでお役ごめん,ハイさようならですが、ところが万物の霊長である我が人間様は、まだまだこれから30年余りも生きるそうであります。(神様から与えられた生物の役目を果たせば、早くお役ごめんをすればよいのに・・・)私も考えて見ますと丁度そのような年代になっておる様子、後は余生を残すのみ、これからは趣味に生きるか、無為に生きるか,それともボランティアに生きるか、人みな顔が違うように個人個人の考え方も違うであろうが、余分の人生を如何に生きるか?さて皆様、これからの日本はどの方向へ進めばよいのでしょう?

今の日本、急速な少子高齢化問題、フリーター・ニートの問題、親殺し、子供殺し等の目を覆いたくなるような残忍な事件、また目を国外に転じると、日中・日韓の問題に、民族紛争、宗教紛争、南北問題等、一つ一つ取り上げたらきりが無いくらい多種多様です。そしてその問題に対して明快な解決方法が見出せず、混迷しているのが現代の社会ではなかろうか。
ほとんどの人は皆、今の生活を変えたくない、しかし、今の世の中の流れ、生活の仕方、経済界の法律を犯さなければ何をやっても自由じゃないか、金儲けのために制約されるのはおかしいじゃないかというようなやり方、考え方に対して少し世の中のことを考えている人であれば、どなたもお気付きのはずだと思います。
 
 自分だけがよければ良い。強いものだけが勝ち残ればよいという考えでは一時は、栄耀栄華を見ることができるだろうが、結果的に長くはつづか無いだろう。 有限な地球はひとつしかない、その地球に住む多種多様なものが調和を保ちながら一緒に生活していかなければならない。一人一人の個人が早くそれに気づかなければならない。
我々伊予土居ライオンズのメンバーは、そのために与えられた場で、できることから着実にやって行ければと思います。この一年間皆様の御支援御協力をお願いいたします。
このたび環境保全・社会福祉委員会の委員長という大役を仰せつかり、青天の霹靂ではございましたが、よい機会だと思い環境保全とは何ぞや?と私なりに考えてみました。

例えば私達が幼かった頃は、川に水が流れているのは当たり前でした。山には木々が生い茂り、海はマリンブルーに輝いていました。すぐ側で様々な生物が生息し、そういったなかで特に意識せずとも身をもって、命の尊さや大地の尊厳を学ぶ事ができたのです。

今やそれが贅沢に感じられる時代です。ふと思い出と共によみがえり、わずかな安らぎをもたらしてくれるあの匂いや風景を、これからの子供達は知らずに大人になるのかと思うと、やるせない気持ちになります。

近年になって環境問題が叫ばれておりますが、それも相次ぐ異常気象や生態系の破壊など必要に迫られてやっとおこったうねりのように思えます。
私は建設業を営んでおりますが、業界でも環境保全が常識となってまいりました。企業のISO導入も手伝ってかここ数年、現場や書類関係でもシステムが大きく変化しています。しかし、それらに意義を見出すことはできても、私個人が環境を守っているという手応えを感じることはありません。小さな滴がいずれ大きな流れをなす事はわかっておりますが、やはり私はどうせ活動するならば実感を伴った滴にしたいと思いました。
そう考えると、ラブリバーなどは特に手応えのある身近な環境保全ではないでしょうか。なかなか参加できていないのが現状ではありますが、今後は積極的に時間を作り参加していきたいと思います。

当たり前のことですが、『身近なことから行動する』この原動力が環境保全や社会福祉の礎です。そういった私達大人の背中を見て、子供達はこの世の中を構築していきます。構築とは、しっかりした基礎の上に、すぐ壊れることが無いように、複雑に入り組んだ構造・配置を持つ一まとまりを作り上げること(参照:三省堂 『新明解国語辞典 第五版』)で、私達の役目は個人のよき思い出を守りながら、しっかりとした礎を築き、それを後世に伝えることだという結論に至りました。

この考えを根底におき、しっかりとした枝葉を広げられるよう微力ではありますが、委員長を懸命に勤めさせていただきたいと思います。今後ともより一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い致します。
150ヤード先の僅か10センチ程のカップに入れるのがホールインワン「入れると云うより入った」と表現する方が正解かもしれない。
小銃のように照準器が付いていて正確に狙えると言う根拠はなにもないクラブに球を乗せて運ぶと云うゴルファーの感性だけが頼り「球の行き先球に聞け」と云うのがアマチュアゴルファーの大半である。

 そんな実情にも拘らず去る6月18日に開催された伊予土居ライオンズクラブゴルフ同好会のコンペに於いて大田憲司氏が新伊予ゴルフの16番ショートホール(約150ヤード)にてホールインワンをやってしまった:::これはオーバーに表現すると地球が反転したか宝くじに当たったに等しい出来事であります。

 それほどに確立の低いホールインワンを達成した憲ちゃんには奇跡の幸運としてではなく与がった幸運として感謝念と素直な気持ちを持てばゴルフ以外にもあらゆる幸運に遭遇出来るのではと感ずるものであります。私も稀にしか巡り遭わない同伴者であったことに感謝をしていますので次のホールインワンは私にも与えられるのではと夢見ています?

 取りも直さず今回の大田憲司氏の快挙を皆さんと共に腹の底から賞賛を贈るものであります。
出来事は幸運が重なり他ならぬ伊予土居ライオンズクラブ同好会での快挙と云う出来事ですので、今期ゴルフ同好会会長の村上さんを先頭に改めて快良い祝福を贈るべく村上会長には一肌脱いでご苦労を買って頂き同志、有志が1日おおいに楽しみと歓びを分ちあえるホールインワン記念コンペを企画立案早期実施をお願い申し上げまして、意を尽くせませんが取り敢えず私の所見といたします。
世界禁煙デー週間の5月31日から1週間、長野県は「煙断(ケムダン)運動」を展開した。県有施設の敷地内禁煙も拡大させ、県庁前に待機するタクシーには、禁煙車両の専用乗り場を設けた。

 これで思い出すのが、多くのタクシー内の悪臭である。臭いだけでなく、濃厚な受動喫煙による健康被害の元凶となっている。喫煙する運転手さんの吐く息や煙は車内に染みつき、エアコンからも揮発性有害ガスが出ており、窓を開けても不快な臭いは取れないのである。

 先日、羽田空港でタクシーに乗ろうとしたが非常に臭く、私は乗車を断った。後の車に当たったが次から次と駄目。誘導員に事情を言って、喫煙しない運転手さんのタクシーをアナウンスしてもらい、やっときれいな空気で目的地に向かうことができた。実際、臭いタクシーは多い。病人や子どもや妊婦など弱い立場の人が利用する病院のタクシー乗り場には、是非とも禁煙車両専用の場を設けて欲しい。
奉仕のこころを持つ 「We serve!」が合言葉のライオンズクラブ。タバコに関しても 強い意志を持って 周囲に奉仕しなければなりません。公衆の面前でタバコを吸うことはライオンズの精神に反することだとライオンズ会員でない私ですら思います。
(過去に、あるライオンズクラブで講話の際 申し上げたことはあります)

 来年、今治で総会とのこと。今治国際ホテルが会場となるのであれば、今から強い申し入れをしないと、禁煙にできないと思います。あのホテルは新居浜リーガロイヤルホテルとならんで、タバコ環境は劣悪ですから。
ぜひ、周囲に影響力のあるライオンズなどの奉仕団体がみんな禁煙されますことを祈っています。
大東亜戦争(太平洋戦争と云うのは米国から見た戦争で、我が国は大東亜戦争と定義している)に対し、朝日を始めとする所謂、国内自虐派一派と中國共産党一派、韓国の一派は大東亜戦争は近隣諸国を侵略したと二言目には叫ぶが、そうではなく、心ある亜細亜の国々からは、先の大戦で日本が、欧米諸国の支配していた植民地を開放したから、独立出来たと感謝されている事も知らなくてはならない。その中に印度がある。そのインドの英雄がこれから話しをする“チャンドラ・ボース”で有る。

 インドと云えば皆さんは、亜細亜で始めてのノーベル文学賞受賞者・タゴール、インド独立の指導者・マハトマ・ガンジー、理不尽な東京裁判で最後まで日本を弁護したパール判事、インドの初代首相・終戦後直ぐに上野動物園に象を送ってくれたネール首相を思い出すでしょうが、チャンドラ・ボースも忘れてはならない人であります。

 昭和16年対米英戦争が始まり、日本国はマレー・シンガポール作戦に於いて、英印軍をなぎ倒し、破竹の勢いであった。当時の英印軍の七割はインド兵であった。
 多数のインド兵が投降し、捕虜となった。
そこで日本のインド独立を助ける藤原機関(F機関)は、インド国民軍の創始者となるモハンシン大尉に“この戦争は長年、欧米支配されてきた亜細亜独立の絶好の機会であり、インドにもそのチャンスが巡ってきている。インドの投降兵を組織し、インド国民軍を創設すべきだ”と熱心に説いたのである。
その甲斐あって昭和17年にはインド投降兵は五万人にものぼり、日本のインド独立支援と捕虜釈放を伝えると五万人のインド兵は狂喜歓呼した。そして英国への忠誠を捨てインド独立を目指すインド国民軍(INA)が誕生したのである。
 そこで、インドで既に活躍していたインド独立の指導者の一人であるチャンドラ・ボースが登場するのである。
 彼は英国の弾圧を逃れて、ドイツにいた“チャンドラ・ボース”は昭和18年5月に来日し、時の首相東条英機からインド独立支援の約束を取り付けるや、シンガポールに乗り込んだ。そして、インド国民軍総司令官として、又自由インド仮政府として、米英に宣戦布告した。
 この頃から “チャンドラ・ボース”はネタジ(指導者)との敬称で呼ばれるようになった。

 彼がシンガポールに飛び立つ前に「日本の皆様へ」と次のような挨拶を放送している。
『日本の皆さん、今から40年前、私がようやく小学校に通う始めた頃、一東洋民族である日本が世界の強大国のロシアと戦い、これを大敗させました。このニュースが全インドに伝わり、興奮の波がインドを覆いました。至る所で旅順攻撃や奉天大会戦や日本海海戦の勇壮な話で持ちきりでした。

 私たちインドの子供達は、東郷元帥や乃木大将を敬慕し尊敬しました。元帥や大将の写真を手に入れようとしてもそれが出来ず、その代わり市場から日本の製品を買ってきて、日本のシンボルとして家に飾ったものでした。そして、インドの革命家たちは、なぜ日本が強大国をやっつける事が出来たのか、それを知ろうと日本に来ました。又日本からは岡倉天心のような先覚者がインドを訪れ、全アジアを救うべき精神を説きました。
実に岡倉こそ〈アジアは一つ〉と断言した大先覚者でした。

 日本はインドの仇敵英国に対して宣戦しました。日本は私たちインド人に対して、独立のための絶好の機会を与えました。私たちはそれを自覚し感謝しています。一度この機会を逃せば、今後百年以上訪れる事は無いでしょう。勝利は我々のものであり、インドが独立する事を確信しています。』

 今読んでも如何にインドが虐げられ、独立したかったが、伺える放送内容です。やがて昭和18年11月にはアジア最初のサミット「大東亜会議」が東京で開催され、オブザーバーで出席していた “チャンドラ・ボース”はインド独立支援の緊急提案が決議されると闘志あふれる演説で之に答えたのでありました。

 その後昭和19年1月ビルマの防衛とインド独立支援を目的として、日本軍が発令したインパール作戦は “チャンドラ・ボース”にとってインド解放のための全てを掛けた戦いでも有った。映画“進め、デリーへ”でも見られた如く、先ず、北ビルマからインド東部に進行し、インド 国内の独立活動を激化させて、デリーに向かって進軍し、英国軍を一気に追い出そうとしたのであった。

 四月上旬インパール北百キロのコヒマの占領に続き、南方モイランも占領し、初めてインド国内にインド独立旗が翻った。しかし、雨期にはいり、物資補給が長く続かなくなると、日本軍とインド国民軍は数倍の兵力をほこる英国軍の前に惨敗した。この戦略的には最悪な作戦と酷評されているインパール作戦ではあるが、インド国民からは、「インパールの戦いはインド国民の独立のための軍事的な、革命的な闘争であり、・・・・インドの国民にインドに対する新しい忠誠心が生じたため、英印軍の大英帝国に対する忠誠心を破壊したのでした。」と評価されている。

 やがて、大東亜戦争は終戦となる。 “チャンドラ・ボース”はソ連の支援で再起を図ろうとしたが、台北の飛行場に於いて不慮の事故に遭い、インド独立を達成出来ぬままこの世を去ったのであります。48歳の短い生涯でした。

 しかし、インド独立に賭けた炎は受け継がれたのであります。日本の終戦後、約2万のインド国民軍将兵を待っていたのは、反逆罪による軍事裁判(INA裁判)で有りました。英国への忠誠心を捨て、敵国日本と協力したとして、国民軍幹部3名が軍事法廷にたたされた。それに対し、ガンジー、ネール率いる国民会議派は「インド国民軍将兵はインド独立のために戦った愛国者である」として、インド全土で反英国運動を展開した。国民の抗議デモは盛りあがり、英国もデモに対して弾圧をしたが、遂に抗しきれず国民軍幹部3名を釈放した。やがてインドは1947年8月15日に独立を勝ち取った。

軍事裁判(INA裁判)のデサイ弁護団長は「インドの独立は日本のお陰で30年早まった」と述べている。
インド国内では、コルコット(旧カルカッタ)、モイラン(インパール南西部)、首都デリー等にあちこちに “チャンドラ・ボース” の銅像が建てられており、インド独立の英雄として、今も祖国インドに生き続けている。

 この我々の父や兄弟の日本軍とチャンドラ・ボース率いるインド国民軍が命を賭けた戦ったインパール作戦は日本・インドの歴史において、忘れてはならず、語り継がれるべきだと思います。
何故急に“チャンドラ・ボース” を書いたかと云うと、又切手の話でなんですが、先日読んだ“チャンドラ・ボース” の肖像切手に対する日本への記事が、余りに的をはずれてあり、事実はこうなんで、もっと日本と結びつきがあり、日本がインド独立に関与していたことをしっかりと知ってもらいたいと思い筆を執った次第です。

 因みにインドで発行されている切手を紹介します。


      1964年 @ チャンドラ・ボース 、Aボースとインド国民軍(INA)
      1993年 Bインド国民軍(INA)建軍五〇年記念 
インドでは、ボースは「ネタジー」(偉大なる指導者)とか「スプリング・タイガー」(俊敏なる虎)という称号で呼ばれ、ガンジーは「マハトマ」(大聖人)、ネルーは 「パンディット」(学者・賢者)と敬称されている。

      参考書:あの時、世界は・・・磯村尚徳・戦後史の旅〈T〉日本放送出版協会
      郵 趣・2001年8月号34ページ・・・・チャンドラ・ボース
      祖国と青年  平成14年11月号 チャンドラ・ボース
      世界の歴史   中公文庫 15巻468ページ
      日露戦争が変えた世界史  平間洋一  204ページ

伊予土居ライオンズクラブ  会報誌
愛媛県宇摩郡土居町入野965ノ1 土居町商工会館2階
пF (0896)74-6235
mail:doi@lionsclub336a.org   URL:http://doi.lionsclub336a.org

ライオンズクラブ国際協会 336-A地区 2R 3Z

原則3点 

山内 貢

先ず原点と論点をあわせて考えてみよう。原点とは幹に例えれば木の根っこの部分である、その根っこの役割や本質を把握、理解せずに木と枝葉のみで論争するから論点がずれるのである。今正に国会で自衛隊イラク派遣の問題点について論争をしているが、私の受感触では幹と枝の部分論争でしかないように思われる。

 特に、野党議員の質問にこの点が目立つのである、一方小泉内閣の政府側も軍隊の本質とは如何なるものかの原点を把握しているのだろうか?今回の自衛隊イラク派遣活動は危険が伴う事だけは確かである。で有るとするなら「自衛隊の陸海空組織をあげて最も有効な護衛策を講じて我が国の威信を掛けても自衛隊の派遣活動は日本国政府の責任に於いて実行するもので有ります」と何故はっきりと云いきれないのか?自衛隊は命を掛けての活動である。国会のつまらぬ論争でお茶を濁して済まされる事柄ではないはずで有るが、只軍人軍隊とは百年の計一日に有りと云われる組織(一日の為に百年育てる)であるから、最小限の犠牲は織込み済みであるが、それも出来る限りの手段を講じた上の事である。したがって軍隊の原点とは何かを踏まえず論争しているのだから真の論点が生まれないのでは?と危惧するもので有ります。次に視点についても触れてみます。

視点とは、物事の真相実態現状等をじっくり見据えた上で判断等の基準にすべきと解すものと思われます。私は今、独善我流の川柳らしき詩まがいを若干嗜む事にしていますが、これには私的な理由も2つ程あります。その一つは記憶力の維持や年齢が年齢ですから痴呆予防のために小さなボタンを押して指先と頭の連動運動を試みるもので有ります。その2は、あらゆるものの見る目を養い、それらを自分流に考え表現する事で感情感性を少しでも豊かな方向にと思考するものであります。

以上の原点視点を踏まえ乍ら、川柳一句で閉書と致します。

『春分に 春の到来 はっきりと』

視点・この日太陽が赤道を交差し北半球に移るから、確かな視点であります。





                  パソコン教室の奨めについて.
                                                              山内 貢

今日の情報の先端はパソコンを活用したインターネットやメールによるもの又は携帯電話によるメール等が主軸をなしていると言っても過言ではありません,この現実はパソコンの普及率の向上は元よりでありますが、その情報伝達のスピードに起因するものが主因と思われます、従ってその超スピード伝達役を担っているのが電波であります、そこで今日は電波の威力に付いて、ひねってみました。

                            電波威力5題

           目に見えぬ:電波が世界:動かして。膨大な:情報蓮ぶ:電波君。 宇宙まで

           威力みせる:電波君。    現代の:友にかがせぬ:電波君。      
           
           電波君:世話
に成ります:何時までも。      

以上電波の威力に敬意を表して締めくくります
が、今ひとつ逆の立場で考えると「,夏目漱石の我輩は猫である」ではないが電波君の目から人を見ると、どう見えるか、?  「吾輩を:利用せぬもの:損な人。」と見ているのでは、と思うものであります。  私はクラブの皆さんにI,T教室の参加をお奨めする理由は新たな楽しみが増えると言う一言に尽きるものであります。簡単なことだけで良いのですから皆さん挙って・進んで・触って下さい。お願い申し上げます。       M,山内です*

 


題名  会員の四大義務

幹事  鈴木 富男

 山内会長の「何事も勉強だから、是非幹事を引き受けて欲しい!」と強い依頼を受け、渋々引き受けた幹事も早いもので残すところ三ヶ月余りとなりました。

最初はどうなる事かと不安でしたが、「あまり無理せず普段通りでいい。」と言う会長のお言葉のお蔭で、肩の力も抜け、私なりのやり方で進める事が出来たように思います。

生意気な事を言うようですが、私もこれでやっと「伊予土居ライオンズクラブ」の一員として仲間入りができたような気がします。それまでは、いつ脱会しようか迷ってばかりいたように思います。それが幹事を任されて以来、自分なりにライオンズの事を勉強し、どうしたら楽しい例会になるだろうか?どうしたらもっと出席率が上がるだろうか?と色々考えるようになりました。ここまで自分が変われたのも会長のお蔭だと感謝している次第です。

そこで、皆様に今一度思い出して戴きたい事があります。それは、新役員のオリエンテーションでの講話にあった『役員の四大義務』です。

   @ 例会の出席

   A 会費の納入

B 奉仕

   C 品位と誇り

この中でも、@例会の出席が最も重要だと私は思っております。出席しなければ何も始まらない。

  『自由には義務という保証人が必要だ。それがなければ単なるわがままだ。』

という格言があるように、わがままな人間にならぬよう、皆様も是非、会員としての義務を守りまずは例会に出席して戴けますよう宜しくお願い致します。

最後になりましたが、幹事という大役を無事果たす事が出来ましたのも会長をはじめ皆様のご協力があっての事と心より感謝致しております。これからも会員として頑張りたいと思いますので宜しくお願い致します。


いずこも同じ役人事情

相馬 紀夫

 何時も切手を材料にした記事ばかり書いているが、今回もお許しください。
先日、中米のメキシコから2002年(平成14年)9月12日に公務員の規律を正す切手が出ました。右の切手であります。

天秤の図案があり、その下に公務員に望まれる資質を示す文字則ち、「高潔」「誠実」「公正」「透明性」「寛大」「平等」「指導力」と書いてあります。多分メキシコ官僚の資質が目に余るので同国政府はこの様な切手を発売する手段に出たのだろうと思います。

日本の国家公務員の宣誓書には「私は国民の奉仕者として公共の利益の為に勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を尊守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏、不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います」とあり、其れに彼らは署名して役人になるそうです。国民の奉仕者として大部分の役人は一生懸命働いていると思いますが、最近はやたらと新聞等を賑わす資質の欠けている輩が目立つようになり、我が国でも公務員のモラルの低下は目に余る物があります。 上は国会議員から始まり、上級公務員の汚職は、大蔵省(財務省)に始まり、厚生省(厚生労働省)、文部省に及び又外務省の田中 均なる・外務審議官の国賊的な振る舞いと枚挙に問わないのです。民・則ち・国民の厚生年金が危機に瀕していると言うのに 厚生年金を運用して年金を増やそうと思ったかのか、自分たちの天下りの部署を増やそうと考えたのか判らないが、厚生年金会館、大規模保養基地などを作り、一兆数億円の赤字を出して、天下った官僚はサッサと高給を貰って退職し、責任は誰も取らない事等の話を聞くと腹立たしい限りであります。 

 平成16年になって直ぐに、役人汚職の記事が報じられました。詳細は省きますが、国立病院東京医療センクターで使う物品のリース契約に、厚生労働省関東信越厚生局総務課独立行政法人企画官が賄賂をもらったとの報道です。  
 所で我が国の廻りの国々を見回して見ますと、いずこも同じ様な悩みが有るようです。
          


お隣の韓国では、歴代の大統領は汚職でつぶれていると言われています。つい最近では1年前に大統領になったばかりの盧武鉉大統領は大統領選挙当時の選挙資金問題や側近の政治資金疑惑で揺れています。盧武鉉大統領は「汚れない大統領になろうと最善を尽くしたが、ちゃんとした結果にならず、恥ずかしい」と言ったそうだか、政権発足1年目で不正疑惑が発生し、先が思いやられそうです。
中国に関しての腐敗・汚職はましてや言わずもがなであります。あの国は昔から立派な口先とは裏腹に汚職は日常茶飯事であります。
元人民解放軍の兵士は「賄賂をとって法律を曲げる腐敗役人を私は糾弾する。法を守るために死ぬこと以外に腐敗に抵抗する方法はない」と言っています。中国は昔の支那の時代から汚職はつきものであり、現在の共産党では党の内部機構で年に数千件にのぼる背任行為を処理しているそうですが、これではどうにもならないようです。共産党は上から下まで腐敗しており、最高幹部たちは数百万ドル、更に数千万ドル単位の金を着服していとの事です。今、党に取って脅威なのは幹部の大金の汚職より、軽微な腐敗であるようです。なぜならば、そちらのほうが、日々の生活で民衆の目に触れるからであり、党の信頼が崩れ、やがて崩壊に繋がるからであります。
 さて、ロシアに目を向けて見るとこちらもご多分に漏れず苦労している様で有ります。元GPU・特務機関の将校であったプーチン大統領は大統領選挙でキャンペーンに“官僚腐敗との闘争”を掲げる程、汚職が猛威をふるっているのです。ゲオルギー・サタロフ元大統領補佐官が主宰する「民主情報学財団」がまとめた報告書によりますと1999年から2001年に、全国で市民が裁判に際し、当局に支払った賄賂は年平均で総額2億7千450万ドル、車検証発行などのために警察に支払わられた賄賂は3億6千840万ドル。年金手続き、教育機関への入学から警察への捜査依頼に至るまで、あらゆる局面で市民は賄賂を強いられているそうです。更に事業許可獲得などに絡み企業が関連官庁に対して行う賄賂は桁外れで、年間総額335億ドルと2001年の国家予算の歳入に迫る規模だそうです。共産主義国家が汚職賄賂国家に変わったので有ります。

 洋の東西を問わずど役人たる者は民に奉仕し、己には、精神的・肉体的に忍耐力を持ち、責任感、、決断力で職務に当たる事を心得るべきでありますし、江戸時代の武士道精神と相通じるものが有るようにも思います。 福島県の二本松市の「二本松城」の中の大きな石に「戒石銘」という公務員の鏡とすべき言葉が、刻まれて居ります。

爾 俸 爾 禄    民 膏 民 脂、 下 民 易 虐、 上 天 難 欺。  


読み方「爾の俸 爾の禄は 民の膏 民の脂なり 下民は 虐易きも  上天は 欺き難し」
意味「お前(武士)の俸給は、民があぶらして働いた賜物より得ているのである。お前は民に感謝し、いたわらねばならない。この気持ちを忘れて弱い民達を虐げたりすると、きっと天罰が有ろうぞ。」
                                         

 まさにおっしゃるとうりで、我が国の役人はもちろん、他国の役人もこの「戒石銘」を座右の銘にすべきと考えます。まだまだ、公務員のモラルの切手を発行しなければならない国が出て来そうです。

参考文献:「官僚幕府」が日本を滅ぼす・・高山 正之 帝京大学教授(明日への選択) 
 
産経新聞 平成16年1月記事  盧武鉉大統領当選一年“黒田特派員記事”
読売新聞  平成16年1月記事「官僚汚職と戦う」プーチン氏再選の柱に
 二本松市インターネツト“戒 石 銘”より

          「この厄介な国」中国   岡田英弘著     ワック株式会社
           「やがて中国の崩壊がはじまる」   ゴードン・チャン     草思社

還暦を迎えて

櫛部 邦寛

この度、還暦と言う大きな節目を迎えるに当たり、これまでの半生を振り返ってみると、高校卒業後勤めていた大阪の会社を4年足らずで辞め、家業の手伝いを8年、又、地元でサラリーマンに逆戻りして12年、そして昭和61年に現在の日新工業を創立し今年で18年になります。
 職種も二転三転しましたが、その時代、その時代を只々我武者羅に突っ走って来ただけにも関わらず概ね悔いの少ない人生だったように思います。高校時代の部活では負けず嫌いの根性が養われ、大阪時代には優秀な上司に恵まれ空調の技術を学び、家の手伝いでは、飼料販売と言えば聞こえが良いが豚の糞にまみれた商売の中から経営感覚らしきものが養われ、地元の会社では忍耐力と人脈を得る事が出来ました。これら全てが回り道とならず、大きな財産となって現在の仕事に生かされている事は言うまでもありません。

現在、我々を取り巻く環境は大変厳しいものがあり、当社も例外に漏れず悪戦苦闘をしておりますが、お蔭様で早くからIT化に取組んでいた関係で、ITに関しては業界でも二歩三歩進んでいると自負しています。その証拠に、大手の客先や同業者もわざわざこの田舎まで見学に来ます。又、最近では、CAD(パソコンを使って図面を書くもの)の運用方法や、当社VE(価値工学)案による施工例等について、客先や関係業界等から講師を頼まれるまでになりました。このように私が早くからIT関係に取組むようになったのは、20年余り前に手間のかかっていたダクト部材計算を、義弟がポケコンで簡単に出来るソフトを造ってくれたのが切っ掛けです。

皆さん方の協力のお陰で何とかここまでやって来ましたが、中でも特に女房の内助の功が大きかったように思います。将来を大きく左右する岐路に立った時にも、私が独断決行しても何一つ文句を言わず付いて来てくれました。又、「親孝行したい時には親はなし」とは良く言ったもので、親父は苦労だけして余り良い思いをしないまま、10年余りの闘病生活の末に現在の私の年で亡くなりました。今、元気で居れば喜んでくれたのにと思うと残念です。それだけに、母親には親孝行したい気持ちも十分あるが、何分にも根がシャイな者ですからついつい照れくささが先行して中々実行出来ず反省しております。

これまでを振り返えると比較的順調に歩んで来たように思いますが、これから後継者問題と言う大きな問題を抱えております。当家にはそれぞれ個性豊かな娘が4人も居ます。親馬鹿かもしれませんが、誰が継いでも4者四様のやり方で上手くやってくれると思うのですが・・・・・残念ながら今のところ候補者がいません。今となっては、本人達が継いでくれないなら誰からでも早く結婚してもらって、その相手に期待したい所ですが引継ぐにも最低10年はかかります。

私も今年60歳ですから、いくら「根性だ!」「気力だ!」と頑張って見たところで後数年です。何としても早急に後継者の目処を立てたいと、還暦の節目を迎えるに当たり思った次第です。


小森香子詩集「花梨」より


PR委員長 安藤 宏
「味覚」

なにが一番好き?と聞くと都会でも

田舎でも子供らはハンバーグと言う

だからといって母親が特にうまい

ハンバーグを作るわけでもない

むしろ手造りのものよりCMごさかんな

冷凍食品をうまいという

子供らの味覚は舌ではなく、目と耳

によってやしなわれる

チョコレートは極端に甘く

スナック菓子は塩分過剰で

九歳で糖尿病、十二歳で高血圧

小児科のカルテは

うそのような文字でうずまる。

 

.

<感想>
          少年期における健康破壊のみごとな描写子供の身体を守り育てるとはどういうことか?
現代社会が引き起こす人間的なものの歪みは避けて通れない問題である



糖尿病を治すため***??骨を折った話

計画財務委員長 長 尾 嘉 也

*糖尿病は食事半分でくすりいらず   (腹八分に医者いらず)

昨年の秋、糖尿、肝機能、コレステロール等、所謂、生活習慣病の自覚症状が気になり、検査を迷っていた時、知人の強い勧めがあり、忘年会シーズンに入る121日思い切って検査を受けた。案の定、主治医よりお叱りを受け入院をせよとの通告でした、仕事の関係で何とか通院治療を説得し、栄養士の指導により

食事制限
1日1600kcal、1食当り6単位(500kcal)の献立例は、ご飯150g、アジ塩焼き中一尾、豆腐とワカメの味噌汁、温野菜盛合わせ中鉢ポン酢和え、これでは満腹感はおろか食べた気がしない、空腹が我慢出来ないとブラックコーヒーや、お茶、海藻サラダ、こんにゃく等でごまかして慣らして行く、フライ、天ぷらの油類や酒類も全くダメ。1ヶ月で治そうと必死に頑張っていた3週間目、体重も順調に3kg減ってきた。


*闇夜にバイク                ( 闇夜にカラス )

そんな24日Xマスの夜、酒も飲めないのにネオン街へと出向く、車を停めて目的のスナックへと、車の通行もなく、薄暗くて閑散とした繁華街をテクテクと歩いて行く途中、急激な衝撃を受け倒れ込んだ、暴漢か?何が起きたのか全く分からない、暫くして男が走りよってきて、バイクが後方より激突して来たことが判明した、取り乱して詫びてばかりいる相手に冷静に救急車の手配と、警察への通報を指示した後、私の携帯電話を探させてお店のママに助けを求め、すぐに店員を連れて来てくれ安心した、友人や身内への連絡を依頼した。救急車にも病院先を指示し激痛と戦っていた、偶然にも事故直後連絡を取っていた友人がタクシーで横を通過していた事が後ほど判明し笑い話になったが、その友人達が素早く病院に駆けつけ医者の手配等テキパキと指示してくれたので安心した、今でも感謝の念で一杯です。夜道は人も尾灯や反射板を付けないと安心出来ないの?と不安が残るが相手は郵便の配達中で前方を注視せず考え事をしながら、ぼーと、していて私に当たるまで気が付かなかったとの事で、呆れている次第です。黒いスーツを着て夜道を一人で歩いてたのが悪いのかな?負傷個所は右大腿骨骨折と右足ふくらはぎ創傷であった、

*災い転じて福にする              (災い転じて福となす)

翌日、右足が7kgの重りで引っ張られ自由のきかない状態になっていた。主治医より糖尿の治療中につき検査結果により手術は一週間後から年明けになる可能性ある、手術が終るまでは寝たきりの状態が続く、また2ヶ月の入院を要すると告げられた。自分では食事療養を完璧に実行しているので年内手術を確信していた、生れてはじめて自由に動けない生活を体験するはめになった。体のこと、仕事のこと、不安が脳裏を駆け巡る、しかし2ヶ月はどうにもならないとあきらめた、2ヶ月あれば糖尿病や、肝臓も、中性脂肪値も完全に治せる、「ケガの巧妙」、「災い転じて福」に変えよう、と気持ちを切り替えた。

負傷した右足の外傷は目に付く所にはなく、単純骨折との事で相手に対する憎悪は消えだした。年明けより病室で仕事が出来るようパソコンとプリンターとインターネット用回線の手配をして、骨折の治療と糖尿病など生活習慣病の治療に専念することを決心した。

*骨折り徳の糖尿病治療             (骨折り損のくたびれ儲け)

徹底した食事療養の甲斐があって、年末も押迫った30日午後手術が決定した、手術は全身麻酔で、約4時間、本人は病室に帰るまで全く何も知らないまま終わった、大腿骨は長管骨といって中に髄液があるため、字の如く管状になっている。その管状の骨の中に直径11.5o長さ380oのチタン製合金の金属棒を挿入し両端を脛と腰骨にチタン製のネジ釘で打ちとめる手術であった。この金属は取り除かなくていいらしい。手術2日後より車椅子に乗り動く練習、5日後よりリハビリ開始、筋肉の回復トレーニングをおこなう。  ギブスをしないので行動制限が非常に少なく筋肉の回復が早い。病院の糖尿食も苦にならず量は少ないが概ね味付けもよく気楽な治療で検査数値は順調に改善している、入院2週間で体重6k減の69キロと激やせ以前の面影がなく老人顔、老人体型になった自分に驚いた、入院2ヶ月で体重12キロ減の66キロと理想体重に、また数値も全て許容値以内まで改善した。ケガの方は車椅子から松葉杖歩行そして術後6週間で杖のみでの歩行まで回復、手術後50日で退院し杖を頼りに東京まで出張しましたが、骨折箇所と釘の個所の痛みが取れず自立歩行のメドが付かず不安ですが、4月中にはゴルフが出来るよう頑張ります。入院中、各行事に参加できず3役はじめ皆様にご迷惑をおかけしました、皆様のご厚情により担当委員会も無事行事を遂行できたことにお礼申し上げます。

 
長尾嘉也 前 長尾嘉也 後



2003.12月号



私達人間社会は基本的には地域社会の一員としてより良い社会の形成に日々努力しながら生活を営むことは極く当然の事でありますが、最早個々の努力のみではおぼつかない、構造的歪みの現象が顕著に現れている社会と言えるのではないでしょうか?            
私達の住む地域を客観的に見ても解るように自然形態の悪化、科学技術の進歩に伴う公害の拡散、特に社会の一員としての義務感を失った人の多い人間社会等々、これらは全て戦後わずか半世紀余りに作り出された人工的歪みである事は誰にも疑う余地のないものであります。     
従って私共ライオンズクラブは単に地区や国際協会の掟に従うだけでなく自分たちの住む地域社会の諸々の歪みに積極的に係わり逆に地区、複合地区ひいては国際協会も注目するような原動力の発信元となる、クラブを目指したいものであります。伊予土居ライオンズクラブは少数会員クラブではありますが、優秀な人材が豊富なクラブであると自負いたしています。 
今期特に各委員会の自主的活動をお願いいたしましたのも原点はここに尽きるものであります。     
クラブ員の皆さんの意気込みとご活躍をご期待申上げております。



「青少年育成後援会」は、我がクラブのビッグイベントです。この担当委員長を自ら買ってまで引き受けた講演会が、上手く行くかどうか心配でしたが、結果はご存知のように大好評でした。これは、講師の坂本さんが素晴らしかったのは言うまでもなく、クラブ員の皆さんがそれぞれの立場からご協力頂いたお陰です。今思うと、学校や講師の意向を無視して委員長を引き受けた事が少々無謀でした。まだ正式に委員長の任命も受けていない時期(3月初旬)学校へ、当クラブとしては「今年度の講師を坂本さんにお願いしようと思うのですが・・・・」と打ち合わせに行くと、既に講師が決っていた状況でした。ここで引き下がれば、フライングしてまで委員長を引き受けた事が徒労になる。何としても坂本さんに講師をお願いすべく、講師著書の「やった」と、ホームページの資料、そして自から願って委員長になった経緯が載った会報誌を、校長先生や担当の先生に渡し「是非ともこれらを熟読してから判断願います」と強引に置いて帰った次第です。すると、3〜4日後に熱意が通じたのか「坂本さんにお願いしてください」との連絡が入りました。無責任な話ですが、いざ、お願いされてみると只単に一読者の立場でしたから、何のコネもなく講師を引き受けてもらえる確証など全くありませんでした。私が「やった」を読み、自転車で世界一周をした行動力、物事に素直に感謝する姿勢、夢を持つことの素晴らしさを、「土居中の生徒に伝えて欲しい!」の思いから引き受けた委員長でしたが、講師に講演依頼をどうアタックすれば良いのか悩みました。ですが、ミキハウスの木村社長の「本気でやればできる」の精紳を見習い、坂本さんのホームページの「お問い合わせ欄」に下記のメールを入れてみました。

1968年 東京都出身 7〜11歳まで、父親の仕事の関係でフランス、パリに暮らし、そこで見たツール・ド・フランス(世界最大の自転車レース)に魅せられ、以来、自転車の虜に。中学時代からはロードレースにも参加する。’92年、早稲田大学政経学部経済学科卒業、同年、株式会社ミキハウスに入社。商品部、人事教育課を経て、’95年9月26日〜’99年12月28日までの4年3ヶ月間、有給休暇扱いで自転車「世界一周」の旅へ。
   「3/25 突然のメールで申し訳ありません。私は、愛媛県の伊予土居ライオンズクラブに所属している櫛部と申します。今年の初めに、木村社長の「本気でやれば、できる」を読み、その中で坂本さんの存在を知り「やった」を読ませて頂きました。内容に違いがありますが、どちらの本も大変感動しました。そして、坂本さんのホームページから全国各地で講演している事を知り、是非とも当地でもお願いしたいと思い、失礼は承知でメールをさせて頂きました。我がクラブでは、毎年、地元中学生を対象に「青少年育成講演会」を主催して今年で13年目になります。失礼ついでに、7月7日〜11日の間がこちらの希望日なのですが、坂本さんの都合は如何でしょうか・・・・?何卒、ご検討の程宜しくお願い申し上げます。」  上記のメールに対して、二日後に下記のメールが届きました。3/27 この度はお問い合わせありがとうございます。確かにメールを拝受いたしました。また拙者「やった」を読んで頂いたとのこと感激です。深謝いたします。7月はギニアに井戸や学校建投のために視察に行く期間と考えております。5月末から6月中でしたら実現の可能性が高いのですが、学校の都合もおありかと存じますが、いかがでしょうか…‥。子供たちにぜひメッセージをお伝えできればと思います。実現できるよう願っております。ご挨拶もせず用件のみで申し訳ございません。取り急ぎよろしくお願いいたします。以後、50数回メールのやり取りの結果、講演が実現したのですが、何よりもライオンズクラブとして依頼したからこそ実現したのであって、櫛部個人では到底実現していなかったことです。ライオンズクラブとは、只単に仲間が集まって弁当を食べるだけの会ではなく、「ライオンズクラブの偉大さと、在籍している価値」を改めて痛感した次第です。

 私は、自分の夢がどんなものか、自分でもまだよく分かっていません。しかし、坂本先生のお話を聞いていると、自分の将来に希望と自信がわいてくるような気がしました。坂本先生は世界一周という自分の夢を叶えられて、とてもかっこよく見えました。夢を叶えた人は、輝ける人なんだと思いました。私はいつかは坂本先生のように輝きたいと思います。感謝の心や謙虚な心をいつでも持っていられるような人間になりたいです。私は自分の夢はまだ分からないけど、将来への期待もあるし、反対に不安もあります。それに、苦労するのが嫌だからという理由で、大きな夢を抱けずにいるような気がします。でも本当に自分の夢を実現させるためなら、どんな苦労も苦労と感じないのかなと思いました。私も自分の好きなことや個性が生かせる夢を、思いきって描いてみたくなりました。坂本先生が世界中のいろいろな人々と出会い、友達になったというのを聞くと、私までワクワクしてきます。どんなに心細くても、友達ができれば心が落ち着くし、自分に勇気と自身が持てると思います。私もこれからの出会いがとても楽しみになりました。今日の坂本先生との出会いも一生大切にしようと思います。私は、坂本先生が言った、「夢はどんな夢でもいい。人に言えない夢でもいい。」という言葉がとても印象に残っています。夢というのは、誰がどのように思おうとも、自分の夢なんだから貫き通すことが大切なんだと思いました。これから、自分の夢が見つかって、それを実現できた日が来たなら、一番に坂本先生に報告したいと思います。将来へ今だ一歩を踏み出せないでいた私の背中を、そっと優しく押してくれた坂本先生に心から感謝します。そして、応援してくれていることをとても心強く思います。



私は、今日の講演会を聞いて、とても楽しかったです。それぞれの国の違い、言葉の違い、食べ物の違い…日本とは全く異なっていました。個性とは何か、と思うとまだ自分では答えられない思います。自分は何に対して個性があるだろうか…と悩むと思います。これから、いろんな事にチャレンジして、自分なりの個性を探していこうと思います。私が今日、学べた事は“感謝をすることの大切さ”です。例えば、私達は水がなければ生きていけない。学校がないと勉強することに不便だ。牛や鳥達がいなければ、いつか体は壊れていく…。今まで私達が食べてきた物…それは私達の体の中で、私達の為に命を渡してくれたから、今こうして生きていられるし、何かの命が私達の命になってくれているのです。だから私は、なにげない事に対しても、いつも感謝の心を持っていたいです。そんな人間になりたいです。今日の講演会は、聞けて本当によかったです。また、こんな話が聞けたらいいなと思いました。本当にありがとうございました。


 私は、今回の講演を聞いて、自転車で世界一周するのは私には無理だなぁ、と思った。でも1番心に残っているのは、「小さな事に大きな感動」という事が私の心の中に強く残っている。1日2回しか食事がとれない、食べ物がないという厳しい現実にも負けずに日々の小さな出来事からたくさんの感動をえられる、とてもすごいと思った。心が豊かな証拠だと思った。他にも日本では食べない物を出された時など、自ら進んで食べる事ができるのか?どんなささいな事でもその国や地域のやり方、食べ方などを受け入れる事によって自分を受け入れてもらえる、そういう事がとても大切なんだと思った。ワニやサル、ゴリラまで食べると聞いた時はすごくびっくりした。他にびっくりした事は、高山病でたおれた時にたまたま州知事が通って助けてくれた話だ。これは本当に奇跡じゃないかな、と思うくらいびっくりした。昨日まで他人だった人が今日病気でたおれている自分を家族みたいに優しく助けてくれる、こう考えると人ってすごいなぁ、と改めて思う。他の国の人、文化の違う国の人と仲良くする3つの条件。@まずはあいさつをする。Aどんな小さな事にも感謝の気持ちを持つ。B1人1人の個性を大切にする。お話を聞いていて、3つともとても大切な所で、出てきたなぁと思った。やっぱりこの3つは、友達関係でも大切な事なんじゃないかと私は思う。私はこれからこの3つをふまえた上で、これからの人生もっと個性を生かして生きていきたいと思った。「やった」という本もきかいがあれば読んでみたいと思った。


 僕は坂本さんのことを渡されたプリントの中で初めて知った。渡されてすぐ読んで見れば、なんとなく面白い人だなぁと思った。そのプリントは、かかった病気のところに「恋の病」とあった。(なんかあったのだろうか?)それと日本との通信方法のところに「テレパシー」とあった(超能力者か?)それが何とも奇妙で、面白く、そんな人が、自転車で世界を一周した話をしてくれるのかと思うと楽しみになってきた。ユーホールで坂本さんの生の姿を見た。(プリントのは白黒で分かりにくかった。)いく分ガッチリした人でもなく、普通の人だと思った。だけど坂本さんの話は、とてもうなずけることばかりであった。まずは、あいさつの話。初めは敵だった人もあいさつをすれば仲間になれるという事だ。これは、どの国でも同じで、やはりあいさつは、人と人との簡単なコミュニケーションのひとつだと思った。2つめは、感謝の気持ちを忘れないこと。それは坂本さんが旅をした中で見つけたことで、自分自身ここにいられるのも、食べていけるのも、いろいろな人が関っている。だから、毎日生きていることにも感謝しなければいけないと思った。そして、一番感動したところは、自分の文化に誇りを持つことであった。お金だけがすべてではない。そういうことを感じさせられた。最後に坂本さんの話を聞いて、夢はすばらしいと思った。夢を持っているから人はがんばれる、そういう気がした。「ボーイズ ビー アンビシャス」いわゆる「少年よ大志をいだけ」という言葉だが、今になってその言葉の意味をしみじみと思い出していた。


 自転車で世界一周だなんて大それた事は、冒険家のする事だと思っていた。なので、それを普通のサラリーマンが有給休暇を使ってやったと知った時、私は本当に驚いた。そのせいなのか、坂本さんは長身で胸板の厚い、凄く強そうな人だろうと思っていたので、御本人が特別目立つ所もない極普通の人だと分かった時は二重に驚いた。驚きと同時に、夢は自分次第で叶えられるのかも知れないと少し思った。それでも人の個性には向き不向きがあると聞いて、やけに納得もした。“頑張れば出来る”といったはげましが多い中で、そういった考え方は新鮮だったし、“努力次第”といったものより受け入れ易かった。何をするにしても、最後を決めるのは自分自身であるというのを忘れず、自分の個性や可能性について考えていきたいと思った。


 私は、坂本さんの紹介のプリントを見た時は「すごいな」とか、そういう印象しか持たなかったけれど、実際に今日お話を聞くと、いろいろな思いが生まれました。坂本さんのお話を聞いていると、私の中にあった、世界一周する人のイメージが、すごく変わりました。私も、一般の人と同じように、勇気がいるんだろうなとか、強くないとダメというイメージを持っていました。だから、坂本さんが、「私は子供の時からすごく気の小さい子供だった。」と言っているのを聞いて、とてもびっくりしました。でも、坂本さんのお父さんも言っていたように、気が小さいという事は、悪くない、利点もあると考えると、立派な一つの「個性」だと気づきました。坂本さんと現地の人が白い民族衣装を着て写真を撮っていた時のエピソードも心に残りました。それは、現地の人の、「お金よりももっと大切なものを自分達は持っている、それは、自分自身のプライド」という言葉です。坂本さんは、自分が恥ずかしくなったと言っていたけど、私もそうでした。この人達が言っているのは、決して難しい事でも、えらい事でもなく、人間の原点のようなものなのに、私はそれさえ忘れていたからです。個性の事だってそうでした。みんなと同じという方がおかしいくらいなのに、今は、自分の個性を思いっきり出す人って、少ないなぁと思いました。私も自分の個性をわかりきっていない所もありました。私は坂本さんだけじゃなくて、世界の人達からたくさん学びました。

石川 久子

大橋先生の推薦で伊予土居ライオンズクラブに入会出来たことに感謝し、ライオンズクラブのモットーであるWe・Serveの精神を大切に、私に出来ることを皆さんの足手まといにならない様に頑張りたいと思います。私の好きな言葉に相田みつをさんの出逢いがあります。「その時の出逢いが人生を根底から変えることがある、よき出逢いを」です、ライオンズクラブの皆様に出逢えた事を大切にしたいと思います。これから宜しくお願いします。
濱田 恭彦

今回、伊予土居ライオンズクラブに入会させて頂き、まことにありがとうございます。土居町公報が来る度に、伊予土居ライオンズクラブ様の活動は拝見させて頂いておりました。ラブリバーにおける、地域河川清掃活動・青少年育成の講演会の開催など、地域に貢献されている姿を見る度、頭の下がる思いでした。活動の中で一番印象に残ったのは、青少年育成の講演会の中で、思春期をとらえた講演会を開催された時でした。私どもも、思春期を向える子供達の子育て真っ最中、頭では解っていても、ついつい、頭から怒りがちでした。改めて中学生を対象に、こういった講演会を開いていただいたことで、親の私たちも、また、自分達も通ってきたみちであったと、再確認させられました。私の力などは、微力にすぎませんが、今後、皆様と活動できることを誇りに思い、がんばっていく所存でございます。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。


 私が、19歳のとき父親に薦められて読んだ本が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」です。松山出身の3人の若者が、それぞれの道で成長していく姿は、読み進めていく中で心が躍り、同じ松山出身者として非常に誇らしく思ったものであります。それからというもの読書が好きになり、特に司馬良太郎氏の本はかなりのペースで読んでいきました。そして、36歳のとき再度「坂の上の雲」を読み直してみた時も、また感動の嵐が私を包み込んでいきました。このたび待望のテレビ化が決定し、非常に楽しみにしていますが、それとは別に50代になって3度目の読破を楽しみにしている48歳の今日この頃であります。

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      時事川柳
      若者の、率いる街に、活気呼ぶ。クラブ員、不況諸に、退会も。
                    仕事が順調に行かず退会余儀なくされる。
      四国中央市誕生! 04プロジェクト
これからの街創り若人の活躍に信頼と期待。 山内 貢
第50回
ライオンズクラブ国際協会336−A地区年時大会に出席して
相馬   紀夫
本年度の地区年時大会は平成16年(2004年) 4月10日(土)・11日(日)に高松のサンポート高松・香川県民ホール・玉藻公園で開催されました。
当クラブからは山内会長、ZC.鈴木良明、L.櫛部、L鈴木富男、L.近藤 攻、L.大橋、L.長尾L.石川、L.濱田、L.相馬が参加しました。
10日のガバナー晩餐会では、L.櫛部と小生が表彰を受けた。 これも皆様方のご協力の賜物です。 感謝申し上げます。翌日代議員会が開催され、第二分化会に出席しました。
代議委員第二分科会は,PR・ライオンズ情報・IT委員会・環境保全・保健福祉委員会が含まれておりました。その中で印象に残ったお話を紹介したいと思います。
日時 :2004年4月11日(日) 場所 :香川県民ホール・北5F多目的会議室で行われました。
先ず、松本茂樹・大会副幹事の司会で始まり、役員・委員紹介に続き、PR・ライオンズ情報、委員長・上原 等、IT委員会、環境保全・保健福祉委員長の挨拶があり、次に本年度活動報告書と、5クラブから発表が行われました。
〈1〉" 個性豊かな会報誌づくりとは”  という題で高松東ライオンズクラブPR委員長の「河成いつ子」さんの報告でした。 高松東LCは91名の会員がおり、その内29名は女性との事です。PR委員長になった際に彼女はどうしたら"個性ある会報誌”を作る事が出来るかと考えました。
次ページにつづ

    なせばなる
                                                  櫛部 邦寛


私の座右の銘は「なせばなる」です。これは上杉鷹山が言った言葉で、「なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけり」の「なせばなる」です。

鷹山は上杉謙信から数えて10代目の米沢藩主ですが、当時の米沢藩は、現在の日本の財政同様に破綻状態でした。これを、自らを助ける「自助」、お互いに助け合う「互助」、藩が援助する「扶助」、この3助を基本方針に、行財政改革を見事に成し遂げ全国有数の豊かな藩にまで再建し、ケネディ大統領から「日本で一番尊敬する政治家は上杉鷹山だ」と言われた人です。

そのケネディが、大統領就任演説で「国家が国民に何をしてくれるかではなく、国民が国家に何ができるかを問いたい。国民が国家に頼ろうとしたら、国家はもたない。それは、社会主義国家の失敗や、福祉国家の行き詰まりが歴史的に証明されている。」と言ったそうです。こう言った考え方は上杉鷹山の影響だと言われているそうです。

最近、この「なせばなる」を実証してくれたのは、選抜高校野球で優勝した済美高校です。創部わずか2年で、史上最短の甲子園初出場、初優勝と言う偉業を成し遂げた済美高校の学園歌に「やれば出来るは、魔法の合言葉」と言う一節があります。この「やればできる」を正に実証したのは準決勝の東北高校戦です。9回裏に4点をリードされて絶体絶命のピンチも、見事に逆転勝ちし、「やればできる」すなわち「なせばなる」を実証した好ゲームでした。

株価も11,000円台まで回復し、一部には景気回復の兆しが見えたとの話も聞きますが、我々を取り巻く環境はまだまだ厳しく予断を許さない状況です。「如何なるピンチにも、絶対にあきらめず頑張れば必ず報われる」を実証してくれた済美の試合などを見ていると、今年還暦を迎えた私でさえ「負けずに頑張らなければ」と元気付けられた次第です。